野宮神社と源氏物語
千年も前に書かれた源氏物語に野宮神社が登場します。野宮は源氏物語全五十四帖の内の第十帖、賢木(さかき)の巻に、光源氏と六条御息所(みやすどころ)の別れの舞台として登場します。
六条御息所の娘が斎王となり伊勢に赴くことになるのですが、六条御息所が娘と一緒に斎宮に入ります。当時はいくつかあった斎宮の一つがこの野宮神社です。
斎王とは天皇に代わり未婚の女性が伊勢神宮の天照大神に仕えることで、斎王が潔斎のために身を清めるところが斎宮です。御息所は天皇の休息所のことだったのですが、後に天皇の寵愛を受けた宮女を意味するようになりました。
源氏物語賢木(さかき)の巻では、光源氏の「変らぬ色をしるべにてこそ 斎垣(いがき)も越えはべにけれ さも心憂く」との言葉に対し、六条御息所は野宮神社で「神垣はしるしの杉もなきものを いかにまがへて折れるさかきぞ」と光源氏に向けて詠んでいます。
パワースポットとしても若い女性に人気のある野宮神社(ののみやじんじゃ)は別サイトの野宮神社の頁をご覧ください。
下は右下の写真の源氏物語ゆかりの地のパネルの文章が読みにくいので、そのまま再現しています。
源氏物語ゆかりの地
野宮(ののみや)野宮神社
平安時代の斎宮(さいぐう)が伊勢下向に備えて潔斎(けっさい)生活をした野宮の一つ。斎宮に任命されると、一年間、宮中の初斎院(しょさいいん)に入って身を清め、そのあと浄化野に造られた仮宮(野宮)で一年間ほど潔斎生活をする。平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、建物は天皇一代ごとに造り替えた。 南北朝の戦乱で斎王制度は廃絶したが、神社として後世に残された野宮神社には黒(くろ)木(皮のついた丸木)の鳥居と小柴垣(こしばがき)が再現されている。
斎宮となった六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の娘(後の秋好中宮(あきこのむちゅうぐう))が一年間、野宮で、潔斎生活を送り、いよいよ伊勢に下り下向するという直前に、光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が『源氏物語』「賢木(さかき)」にみえる。そこは小柴垣を外囲いにし、仮普請(かりぶしん)の板屋が建ち並んで、黒木の鳥居とある。
「はるけき野辺(のべ)を分け入り給より、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつゝ、淺茅(あさじ)が原もかれがれなる虫(むし)の音(ね)に、松風すごく吹あはせて、そのこととも聞きわかれぬほどに、ものの音ども絶えだえ聞こえたる、いと艶(えん)なり。(中略)
ものはかなげなる小柴垣を大垣(おおがき)にて、板屋(いたや)ども、あたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居(とりい)ども、さすがに神々(こうごう)しう見わたされて、」
『源氏物語』「賢木」巻より抜粋
平成二〇年三月 京都市